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ファミリーコンステレーションの基本的な理論

坪田
いつもありがとうございます。
【ひといちばい敏感で感受性の強い方(HSP/HSC/エンパス)の専門セラピスト】
坪田です。

前回お届けしました


に引き続き、今回は理論編。

ファミリーコンステレーションの根幹となる理論を、可能な限りわかりやすくお届けします。

ファミリーコンステレーションの基本的な理論


さて、ここで言う理論とは、主にバート・ヘリンガーが、体験をとおして発見したものであり、心理学と言われる学問や知識とは一線を画すものです。
また、ここでの理論は、大抵、個人が頭で考えて逃れることができる程小さな力ではありません。
人間が生きるために身に着けた、生存本能によるものですから、「理論がわかったから自分は大丈夫」という種類のものではありません。
これを前提に、お読みいただければと思います。

個人が属する集団に抱く無意識の思い


1つ目は、個人が属する集団に対して抱く無意識の思いについてです。
これを、ファミリーコンステレーションでは、「個人の良心」という名称で呼んでいます。

先ず、原始の時代を少し想像してみます。
そこには集落があり、全員が力を出し合い共同生活を営んでいます。
男性は狩りに行き、女性は家事や子育てをします。
そのような生活を営む中、自分勝手な行為によって集落を追い出された者がいたとしましょう。
その男は、強がり「俺は1人でやっていく」と息巻いて集落を出ていきました。

さて、その人は生きていけるでしょうか。
狩りを1人で行うのは困難です。
そして、食料が手に入らなければ、分けてくれる仲間はいません。
敵が来ても共に戦ってくれる仲間はいないのです。
つまり、その先にあるのは死です。

原始の時代において、人が集団に属さないことは死を意味しますから、生存本能のレベルで集団に属すことを望みます。
そして、集団の中で自分の居場所を確保するため、無意識に集団に対して貢献しようとし、従順であろうとします。
そうすることによって、集団から必要とされればされるほど、信頼を得れば得るほど、追い出されてしまうリスクが減るということです。

これを個人の良心と呼ぶのですが、良心とは「疚しさがない」状態を言います。
自分が属する集団に対して、疚しさがなく、心が晴れやかなのです。

この心理は日常で大きな影響を及ぼします。
例えば、3つの野球チームがあったとします。
それぞれのチームは、次のことを最も重要なチーム方針としていました。
Aチームは、勝つこと。
Bチームは、楽しむこと。
Cメーカーは、全員が試合に出ること。

どれが正しいわけでもありません。
しかし、Aチームに所属する太郎くんが、「勝つことよりも、楽しむことを大切にしようよ」と発言をすると、どうなるでしょう。
少し極端かもしれませんが、
「おいおい、Bチームに影響されたか?」
「なんかしらけるわ。勝つために野球やってんだろ」
などと批判される可能性があります。

また、Cチームの浩一くんが、引っ越しに伴ってAチームに入ってきました。
そうすると、あまり上手くない浩一くんは、試合に出ることができません。
つまらなくて浩一くんは言います。
「ちょっとでいいからみんな出れないかなぁ」
「楽しかった野球がなんかつまらない」
その発言が、すぐに受け入れられる可能性が低いことがわかると思います。

だれも間違っていないのに、どうして、この様になるのでしょうか。
ここからわかることは、正しさというのは、集団に依存するということ。
Aチームで正しいことが、Bチームでは正しくないということが、当たり前のように起こるということなのです。

更に、これは、私達を「いわゆる八方美人」にします。
私達が所属する集団は、1つではありません。
家族、友達、会社、地域など、細分化すると数え切れなくなる人もいるでしょう。

そこで、正しさはすべて違うのです。
ですから、私達は、その場その場で、最も良いと思われる自分の顔を出し、疚しさがなく、心を晴れやかに保つのです。

この心が晴れやかという心理的感覚は、とても心地よいものであり、この状態でいると集団の中で上手く生活をしていける反面、現代を生きる私たちにとって、制限ともなります。

現代は、原始の時代とは比較にならないほど、集団に属さなくとも生きていくことができます。
自分勝手なってなふるまいばかりをして、集団から追い出されたとしても、それが死に直結することは少ないでしょう。
にも関わらず、自分らしくあることよりも、無意識に集団に貢献しようとするのです。

自分を責めない


もしかすると、
「八方美人な自分が恥ずかしい。。。」

「自分が本当に何がしたくて、何を考えているのかわからない。」
「自分の軸がない。」
などと、自分を責めていたかもしれません。
でも、それは生存本能が、集団に適応するために、必要があって行っていたことです。

また、
「自分の居場所がない」
「誰も受け入れてくれていない」
と感じ孤独を感じていたかもしれません。
これも、集団の中に自分の居場所を求める、生存本能がそうさせると言えるのです。

ですから、これらは、問題があるというよりは、人間の本能によるものである可能性があるのです。
そして、その本能的な行動をしなくても問題がないことをファミリーコンステレーションをとおして、感じていくことが可能なのです。

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  1. ファミリーコンステレーションの個人の思いを補足するもの

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